新海誠監督作品『天気の子』を観てきました。
今日と明日は、遅い夏休み、『君の名』の時もそうでしたか最初に小説『天気の子』を読んでから観に行きました。
正直、『君の名』の時は映画が小説を越えていた。というより、私が小説を読んでイメージをした『君の名』をはるかに超えていたといった方がいいかもしれません。特に音楽の効果は絶大でした。
今回、読み始めて最初に感じたのは、内容が口説く説明されているようでワクワク感が無く面白いと感じませんでした。
中盤からラストにかけての展開にはスピーディーさがあり、楽しく読めたことと同時に自分の中でキャラクター、風景のイメージも出来上がったうえで映画を観ました。
作画の力と前作同様、音楽が効果的に使われていてそれなりに良かったですが、私が小説を読んでイメージした『天気の子』を大幅に超えなかったのは残念です。(前作と同じような音楽の使い方をされていたので新鮮味が無かったと言っていいかもしれません。)
この映画の中で胸に刺さった言葉があります。主人公の穂高が、晴れ女として人柱になった陽菜を助けたことにより、雨が降り注ぐ世界になってしまったことに罪悪感を持っているのですが、命の恩人である人が穂高に言う言葉です。「世界なんてさ—どうせもともと狂ってんだからさ」
そうだよね。何をもって正常というのか、私にはわかりません。狂ていると言えば狂っている。
狂っているからこそ、私達はどう生きるべきか何が正常化、何が狂っているかを考えていかなければならない、そう思わせる映画でもありました。