久しぶりに本を読みました。
『何もかも憂鬱な夜に』中村文則著、刑務官の主人公が、二人の夫婦を殺害して死刑の判決が出ている18歳の青年と向き合い。と同時に自分という存在に向き合うという内容、(詳しくは本を読んでください。)
彼も青年も養護施設で育た境遇、彼には子供たちをいい方向に導いてくれた施設長がいた。
彼は子供たちに、世にいう名作と言う本、優れた音楽や芸術に触れさせ感想を語らせた。
主人公が自分には合わないというような主旨の事を言うと施設長が言った言葉に共感しました。
「自分の好みや狭い了見で作品を簡単に判断するな、自分の判断で物語を作るのではなく自分の了見と物語を使て広げる努力をした方がいい。そうでないとお前の幅が広がらない。」
「自分以外の人間が考えたことを味わって自分でも考えろ」あの人は、僕達によくそういった「考えることで人間はどのようにでもなることができる。世界に何の意味もなかったとしても自分で作りだすことが出来る」
私の話をして申し訳ありませんが、思春期の悩みはこの本で書かれていることとほぼ同じ、自殺を考えたことはないですが、以前にも書いたように私は勉強もできず暴力的な性格でいつも劣等感を持っている人間(今もそうですが)そんな私が結婚し子供を社会にだし、孫がいる。
転機は、中学の時にブラスバンド部に途中から入部してからです。周りの同級生や先輩は成績優秀な人達、そこで余計に劣等感にさらされましたが、クラッシクに触れ今まで付き合っていた人たちとは、変な言い方ですが、生き方の違う人達から刺激を受けました。そして今の私がいます。と言ってもそれ以前に付き合ていた人たちともいまだに仲はいいです。
話は、またまたそれましたが、
彼は、控訴をしないという青年に控訴するようにすすめます。たとえ死刑が覆られなくても殺人を犯したいきさつを真実を話すべきだと、そして施設長がしてくれたように知らないことを青年に教える。そして最後まで面倒を見ると青年に向かって話をします。
その後どうなったか、本をお読みください。